MICA(Mishima International Contemporary Artshow)2022展

  • 2022年8月5日(金)ー13日(土)その後15日から27日までは予約制
  • GALLERYエクリュの森・三島

本展は、三島発の現代美術のArt Showとして3回目を迎える美術展覧会です。今回は、海外でも活躍している作家を含む4名の作家が揃います。各作家は「三島で行う展覧会」ということを意識し、それぞれのアプローチで臨みます。

(4名の方へのインタビューがこのページの一番下にあります。とても長いですが、ご興味をお持ちの方はどうぞお読みください。)

本企画は、一地方都市である三島から世界に向けて現代アートを発信していくことで、ゆくゆくは世界中からアートの愛好者が集う街になれば、という夢を携えて2018年より行われています。コロナ感染の状況で20年21年は断念しましたが、今年は開催の運びとなりました。コロナ感染については、現在も予断を許さない状況ではありますが、会期中も最善を期して対応する所存です。

富士山をルーツにした豊かな水、食、文化環境を持つ三島市は、国内の方はもちろん、世界の人々にとっても魅力的な街であることを感じ、世界を視野に入れたアートムーブメントの始まりとなることを願っております。

【期間】 8月5日(金)―8月13日(土)11―17時(水曜休廊)以降予約制で8月27日まで

【会場】GALLERYエクリュの森・三島 www.ecru-no-mori.jp 

〒411-0035 三島市大宮町2―16―21伸和ビル1F / 2F(New)T E L・F A X 055―976―2320 

【参加作家】   岩田俊彦、内山翔二郎、桜井伸也、河本蓮大朗 

【ミニイベント】 三島、食と文化の場巡りをテーマにした「アートプレイスミニツアー(アート&食)」を アルテ・プラーサ代表、アートコーディネート・マイスターの坂田芳乃氏のご案内で行います。当日はGALLERYエクリュの森にてM I C A2022展を鑑賞後、みしまプラザホテルに向かい、所蔵作品である高田博厚彫刻について同ホテル会長室伏勝宏氏にお話を伺います。最後に同ホテル内にてスイーツ(三島甘薯を使用した生搾りモンブランです)を食すというメニューとなっております。

【イベント協力】アルテ・プラーサ

【後援】三島市、三島市観光協会、三島商工会議所                 

【企画・主催】GALLERYエクリュの森 連絡先:田村燿子(080―3084―2321)

【コロナ感染予防対策】入口での検温、消毒、マスク着用をお願いしております。発熱などの

症状がある方はご来場をご遠慮願います。

【問い合わせ・取材連絡先】 GALLERYエクリュの森 田村燿子 (08030842321)

【会場の様子】会期が終わってから動画をアップしてみました。ご覧いただければ幸いです。

【インタビュー、抜粋】(全文をお読みになりたい方は、info@ecru-no-mori.jp までご連絡ください。)

以前より行っている「R O O T &R O U T E」(作品のルーツを探り、現在の作品に至る道筋を明らかにすることを主眼としているインタビューシリーズ)というインタビューを今回のM I C Aに参加してくださった4名の方にも行いました。以下主に制作について語られているところの抜粋となります。お読みいただくことで、少しでも作家の作品理解につながれば幸いです。(なおインタビュアーは:で示し、作家の方は頭文字平仮名で表記、順不同です。)

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岩田俊彦氏

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:漆を選んだ経緯はどのようなものでしたか?

い:サラリーマンの核家族に生まれて、所謂中間層の一般的な育ち方をして、当時のその他大勢の人達と何変わらぬ暮らしをしてきた奴が漆の世界に入って、自分みたいな思いを漆に感じている人達に向けて作品を作ってみたらどんなものができるだろう?
むしろ僕みたいな人達が殆どだとすると、そうした層がシンパシーを持つような作品が作れるんじゃないか、という逆転の発想です。その時はあくまでも直感だったんですが、後で振り返ると色々な考えがあってのことだったのかもしれません。

自分が行った予備校は、非常にバラエティに富んだ生徒が集まっていて、著名なアーティストの子供や名だたる会社関係者の子供とかが多かったんですね。僕のような片田舎で過ごした人間とは全く違う人種と出会った。そんな予備校での経験は、その後の活動に大きい影響を与えました。

:そういう中にいたからこそ、あまりよくわからない漆という分野で、今まで人がしてきていないことに挑戦してみようという、ある種の野心のようなことが生まれたのかもしれませんね。

い:そうですね、専攻を決めるときは、本当に、瞬間で考えが変わった。あ、そっか、漆なんだね、って誰かに言われて腑に落ちているという感覚。まったくの直感で決めたけれど、後から、考えるとそうした過去の経験も影響しているのでしょう。

:専攻に分かれる前の体験授業で選んだ鋳金でも鍛金でも染色でもなく漆だったんですね。

い:そうなんです、それは多分、結構珍しくて、みんな漆って本当にかぶれるの?とかを気にして、漆芸を考えている生徒はおおよそ体験するのだけど、専攻に分かれる直前で急に思ったんですね。

:そこまでのプロセスが収斂されての決断だったんでしょうね。

:青山でお目にかかった時には、それまでの漆の常識をことどこく破って平面に、しかもクールに伝統的な紋様を描くような漆作品、フラットパネルシリーズですでに異彩を放っていらっしゃいましたが、大学の3年で専攻を選択してからそこに至るまでは、比較的すっと向かっていったのでしょうか?それとも試行錯誤してそうなっていったのですか?

い:試行錯誤しました、すごく。僕は三年次で一度休学し、学部で大学を卒業したのですが、最初、漆で何を作っていいのか全く分からない。そこで先ず何をしようかと思い、西洋美術に目を向けたんです。西洋絵画の流れの中で、室内にモチーフを求め同時にそこで制作するという行為から、徐々にコローなどが風景を描き、その後ミレーやモネが戸外にあるものに更なる魅力を見出し、制作が開かれていったことを受けて、室内で作業をすることが当たり前の漆芸を屋外に移して制作した時にどうなるか、というふうに思うようになって、雑木林などで葉っぱとか大きい岩とかに漆を塗ったり、海にあるテトラポットに漆を塗ったりし始めた訳です。岩とかに漆で模様を描くなど、原初的な行為を行い写真に収めるという活動を更にこうしたら面白くなるかな、これはどうかな、と暫く続けていたのですが、それを客観的に見た時、漆でなければならない意味、はなんなのかということに行き着いて、むしろ漆然とした表情を見せることで、広く作品をアピールできるのでは、と思うようになったんです。浪人の時に教えられた先生が芸術系の講師も多く、漆芸科出身の講師もいて、器でなくオブジェクトを作るその姿に影響を受けました。また主任の講師が油絵科の先生で特に西洋美術の流れを解説してくれたことにも多分に影響を受け、使う素材は漆なんだけれど絵画のような平面作品として見せた方が今の人たちにもアピールできるだろう、と思うようにもなったんですね。
でも漆という日本ならではの材料を使っている限り、過去からの日本の芸術や工芸の流れの中に作品を位置させることは、とても大事だと思ったので、伝統技法を駆使しつつモチーフとか文様だとかを使い、更にそれをもっと現代に寄せてグラフィカルに展開していくことで社会性も出て、スタイルが完結するかなと考えるようになっていったんです。

:古いものと現代のものを融合させて制作しようと思うようになられたんですね。その時モチーフの選び方はどのように?

い:やっていることが、工芸の歴史に裏打ちされ、且つ流れに則ったものでないと、例えば、突然飛行機を描いたりとか、車を描いたりしても飛びすぎているというか、唐突すぎるというか・・・あくまでも伝統的な要素や歴史に紐づいていることが先ずは大事だと思っていました。

:初期の作品に登場していたドクロも過去の美術作品との関係性ですね?

い:そうです。ドクロも例えば若冲などの日本画家や版画家が描いていたり、根付のモチーフになっていたり、日本の過去の芸術に良く登場しています。ドクロもそれ自体乖離しているものではなく歴史の流れに沿って選んでいる一つですが、それ自体で現代性を帯びているモチーフともいえます。現代の要素としてはグラフィックという点で、モチーフは例えば花鳥風月や伝統紋様をベースにするなど、過去にルーツをおきつつ、その土壌に現代のエッセンスを、ということでないと受け入れられないと思ったんです。

:受け入れられない、というのは、そのときどういう人を意識していらっしゃったんですか?

い:一般の人というより芸術に対して目が肥えている人、欧米の芸術だけでなく日本工芸、更には漆を知っている人が触手を動かす、ということを目指したかったので、いきなり飛行機とかではなく、古来から日本の芸術で慣れ親しんでいるモチーフを引き継ぐことで、伝統的な芸術と現代芸術を繋げてくれる、というようなことを思ったんですね。それをフラットパネルを用いて現代的な美術の枠組みに入れて・・、美術に興味を持つ比較的広い層を意識したんです。

:そのフラットパネルは、その後着々と美術館や著名なギャラリーなどでの展示で受け入れられていくわけですね。

い:はい、おかげさまで。

:そのあとまた、新たな系統のものが出てきましたが。

い:はい、ダイアローグシリーズです。フラットパネルの制作の際、最後の磨く過程に行くまでの間に、錆下地という漆と砥の粉を混ぜたものヘラで付けていく段階があるんですが、錆下地をヘラ付けしているその表情が既にかっこいいなぁと気づき始めたんです。フラットパネルは自分が設計図を描き、そこをゴールにして完成ということになるわけですが、途中のザッとしたある意味で偶発的な表情って最後に消してしまうのがもったいないな、とつくづく思ったんです。また、ある程度磨きの作品を作ってくると、手法がパターン化してくるので面白くなってくる、という側面もあったんです。それで、実験的なことをしていかないと自分の中で腑に落ちないというか、磨きの仕事は帰る場所、所謂ホームといった存在と位置づけ、それ以外のことを模索したということです。だからと言ってすぐに表現が固まったということにはならず試行錯誤のプロセスがあって。

:最初は布の作品でしたね。

い:そうです。徐々にパネルのほうがいいかな、となってきて現在に至る、という感じです。最初は、パネルという支持体すら見直したほうがいいかな、と。偶然性を活かすとしたら、どこまで今までの形式を取り払って、偶発的要素に還元していくべきかな、と思って、まずは有機的で形状も変化し易い布でやっていき、徐々に振れすぎかなと思って軌道修正したりしていって現段階ではやはりパネルという支持体が良い、と思い直したという感じです。

:布の作品は4年前のアートフェア東京でうちから参加していただいた時に出されて、とても大きな反響があって、多くの人に受け入れられましたね。

い:制作をする中で、もっと漆の良さを認知する人達の裾野を広げていくには、ということを意識していましたが、パネルで磨きの作品は時間がかかるし、どうしても高価になってしまうんです。そしてフラットパネルシリーズの作品だけでは、僕が考えている「漆を次の世代に」とか「漆の可能性を見せていく」というのが未消化のままだなと思っていたこともあります。こちらのシリーズは磨きに比べて比較的誰もが手に取りやすいものになっているかと思います。

:そろそろ終わりますが、今から20秒の間に言ったことが現実になるとしたら、なんと言いますか?

い:難しいですね。でも今のままが続けば良いのではないかと思います。生きている今に幸せを感じられなければ、どんな世界になっても幸せを感じられないと思うんですよね。今いかに幸せを感じることができるかでしょう。

:ほんとうにその通りですね。

:今後のことで何かアナウンスすることはありますか?

い:8月19日から、地元の藤沢市にobi galleryというギャラリーが新設され、そちらで陶芸家の木村勲氏との二人展をします。年末にはポーラミュージアムアネックスで、年末には山本冬彦氏が漆の平面作家を集めた企画展にも参加する予定です。

:今回三島ということで何か意識されましたか?

い:そうですね、三島というか、この辺りはジオパークと認定されているとうことで、

自分の今回出品した作品のシリーズはある意味、地球のテクスチャーというか、俯瞰した地球、地表というものを表現しているようにも見えるでしょう。その点でジオ的というか偶然性=自然が作り上げた産物ともいえます。ダイアローグシリーズの作品を制作する時には、先ず自らが起こす支持体へのアクションが起点になっているとはいえ、シリーズ名が示している通り、それはあくまでも漆や土系の材料との対話を重ねながら完成へと進んでいきます。人知を超えた自然が作り上げた表情を尊重する、というコンセプトに立脚しています。

:長年作品を拝見していると、岩田さんの内面には鋭く尖った部分とナチュラルなところがあって、その両方が生かされてそれぞれ作品になっている、という感じがしますね。

い:そうなんですよね、どっちかじゃないんです。どちらに偏り過ぎることなく、両翼のバランスで物事が展開しています。漆というテーマを纏ったヤジロベーの中心にあるのが自分。その軸は動かないのですが、自身も流動的な時代や環境による変化を受けながら、色々な角度に傾いていくことで作品が生み出されます。漆と自分の関係は日々変容していきます。

漆って9000年以上前からあるものですけれど、まだまだ未知なる可能性があると思っているんです。

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河本蓮大朗氏

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:古い布を使ってというのはいつごろからですか?どんなきっかけがあったんですか?

か:大学がWE21ジャパンというN P O団体から古着を提供してもらっていて、それを使ってN P Oのバザーの中で古着を使った作品を展示するというグループワークがあったんですね。大学の同期みんなと作品を作って展示をしました。それが最初ですね。

古着はデザインとか、素材とか、時代背景とか、様々な要素が混ざっていて面白いと思って、自分の作品にも取り入れられるなと思ったんです。それで大学3年時の自由課題で古着を使って自分の作品を作ったのが始まりです。

:まずは課題で出会い、そして使ってみたら面白いなあ、ということで始まったわけですね。それをずっと続けて、そこに少しずつ意味が加わってきたという感じですか?

か:そうですね、最初はシンプルに先程言った古着にまつわる要素が面白いなという思いだったんですけど、作り続けているうちにその背景を思い浮かべるようになりました。

それは社会問題や環境問題も含まれるし、時間や人の営みとか、いくつかのキーワードが思い浮かんできました。

素材として使っている古着は誰かが着ていた服なわけで、自分が知らない他者の痕跡というか、自分の世界だけじゃなくて、他の人の世界と繋がっているようなイメージが出てきたんです。それは10年20年前の話だけじゃなくて、紀元前まで遡るような想像が膨らみます。
織を発明した人、服を作ってきた人や文化、デザインにしても時代によって変わっていくじゃないですか?

そのような時間的な過去から現代に至るまでの流れを自分は織っているということを感じます。

また、写真の作品はその一瞬を閉じ込めるというか、その一瞬がそこにあるということを感じていて。

でも、それは自分の目線で見る一瞬なんです。織物というのは他者とつながる目線なんですよね。今回の展示はその両者、自分の目線と他者とつながる目線が交錯して見えたらいいなと思っています。

:全部でこのA4サイズほどの写真が何枚くらいあるんでしょうか?壁の隅から隅まで覆い尽くされていますね。

か:250枚くらいですかね。

:鎌倉と三島のショットですよね。ご自身の目線で捉えたものを撮って、それが並んでいる中に織の作品が入っているんですね。そして鎌倉と三島という場も織り込んでいらっしゃる、というふうに思います。

か:そうですね、さっきその話が出て、なるほど〜と思いました。

僕はあまりその意識がなかったんですけれど、これも一つの写真だけの織物と考えられますね。

:そうですね

か:鎌倉は僕の出身地で、今回展示する三島という土地は父親の実家があるということも含めて、今回の展示にすごく意味を感じて、三島の風景を織り混ぜたいという気持ちがありました。

:三島にも取材にいらしたんですよね。

か:はい。一個一個見ていただくと発見があって面白いと思います。

:ずっと見ていられますね。

か:そうですね。色々な解釈で見ていただけたら嬉しいです。

あと、この足元にあるドローイングは自分の頭の中から自然に出てくる手ぐせみたいなものです。写真を撮ってそれを織物に変換していくという頭の流れの途中にあるものがこのドローイングで、それも含めながら最後に織物に還元されていくようなことをやってみたいと思いました。

:どうでしたか?

か:それなりになったかなという感じです笑、

今後こういう展開ができるという経験になりましたし、これから会期が始まって皆さんがどういう反応をしてくれるか楽しみですね。自分の考えていることと違う目線でご意見を言ってくれることで自分もまた別の見方ができることも作品展示の面白さだと思います。

:いい作品を作られたなぁ、としみじみ思いました。

か:ありがとうございます。でもまぁ新しい作品を作るというのは怖いですね。どうなるかなぁと思っていました。

:そうですね、最後の最後までやってみないとわからない、というところがありますね。それにしても本当に熱量が高い作品で、見てくださる方の表情が浮かぶような感じがします。ありがとうございました。

ところで皆さんに聞いていますが、今から20秒言ったことが全て現実のことになるとしたらなんと言いますか?という質問をさせてください。

か:僕20秒間あっても、なんか実現したいっていうよりも、今やっていることが幸せなので、何かを特別実現させたいことはないです。今していることを継続したいという思いが強いかもしれないです。

:今を喜べて、それを継続させたいという願望は、多くの人が求めていることですよね。

か:もっと良い作品を作りたいという気持ちも大きいです。何年かかっても一生かけてさらに納得のいくものを作ることを目指していけたらいいなと思います。

今後のご予定は

か:10月に横浜高島屋で僕が学生のとき助手だった先生と展示をします。

それから宮古島のホテルに納品の予定があって、それが面白そうだなと思っています。

宮古上布という宮古島独自の織物があって、その端切れを提供していただいてそれを使って作品を作ります。

あと日比谷の帝国ホテルプラザで今回とは違うシリーズの作品を展示します。三島の展示と同時期に始まって9月末まで行います。インテリアのある空間での展示なので、ホワイトキューブでは見えないものが見えてくるといいなと思っています。


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櫻井伸也氏 

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さ:もともと映画とかミュージックビデオなどの映像の世界に憧れて、そういう分野の仕事をやりたいな、と思って、ちょうどその頃ストーリーがある映像ものとV Jの様な映像だけで作品として表現するものを多く見る機会があってそういうものの制作に携わりたいと思っていたんですね。

:そういう思いを持って大学を入って、でもそちらに行かなかったというのは?

さ:その当時まだ大学では、映像作品を作るのがチームでやらないと難しい状況だったんです。まだデジタル化全盛になる手前だったので。今だったら機材もデジタルカメラ1台だけ使って自分だけでそれなりの映像がつくれるかも知れませんが、その当時は、まだチームでつくる事が多かったので。元々は、体育会系でチームスポーツをやっていたので、チームで何かやる事は、不得意ではなかったですが、映像作品とかものづくりに関してはそれが自分には、向いていないと感じたので、個人で完結できるものにシフトしていった感じですね。

:その中でテキスタイルに行ったのは

さ:お世話になっていた先生が染織で作品を制作されてたんですけれどその当時は、絵も描かれるし、漆芸作品や家具も制作されていて、色々なものを触る事の大事さを教えていただいたんですけれど、染織よりも自分は染めに向いているのかと思い、学生時代は、アパレルとかファッションに興味があったというのもあるんですけれど、その中でテキスタイルデザインとか染色作品の制作にシフトしていって・・・

:ご自身の中でこれだ、と思う作品は比較的すぐにできたんですか?

さ:最初は使える物を作っていました。Tシャツとかスカーフの染色だったのが、だんだん作品を制作する事に気持ちが変わっていきこういう世界もあるのかと新鮮に感じたんです。でも作品自体の表現が平面になっていくのは大学4年の時の個展とその後、イタリアに行ってからでした。大学時代の殆どは工芸、という枠の中での作品制作でした。

:イタリアに行くことになったきっかけは?

さ:大学時代に色々と個展のチャンスを頂いたり、ありがたい事に副手や助手で大学に残らないか、というお話も頂いたんですけれど、お世話になっていた先生が、これから作家としてやっていくなら君は、大学には残らない方が良いとアドバイスしてくれた事と大学4年生になった時に作家として続けていくためにはどうしたらいいのかと本気で考えた時に大学院に行くか、大学に副手のような形で残るか、海外に留学に行くかと選択肢の中から選ぶ際に、自分はやっぱりどちらかというと美術の世界に遅れて入っていると思っていたのでで、ちゃんとした美術の事を一から勉強するんだったら歴史のあるヨーロッパで学ぶのがいいのかな、と思ってフランス、イタリア、ベルギー等色々候補を考えたのですが、その中でも美術とデザインの歴史があるイタリアを選びイタリアの中で現代美術が盛んなトリノを留学地に決めました。

:その時から現代美術をという意識はご自身の中で?

さ:イタリア自体が基本的にルネッサンスを含めずっと美術の歴史の中にあるのでそれをベースにしながら、自分としては現代の世界に投げかける作品をつくりたかったので。

:今の作品のスタイルというか、技法になったのはいつ頃ですか?

さ:最初のイタリアでの個展が2006年なんですね。その時はまだ布の作品が半分以上で平面の作品が少しだけあるっていう感じでしたが、だんだんギャラリーの人間やイタリアで知り合ったキュレーターとも話して平面の作品を追求していくのがいいんじゃないかっていう事になって、その中で絵画を制作するんだったら、なぜ東洋人の自分が、海外で絵画を制作し発表するのか、っていうことを自問自答ではないですけれど周りからもそういった質問が多いので、問い続けましたね。その中でオリジナリティ、自分らしさというものを出さないと結局西洋絵画の物真似になってしまうんで、素材から歴史から研究して自分の中で、オリエンタルな部分の染めをベースにしながら、その上にヨーロッパの歴史的な素材である油絵具を使うところから始まったんですけれど、それが染めの部分が、現在はだんだん消えていって、絵画的な部分が強い作品スタイルになりました。

:初めは分かれていた染めと平面という表現が融合していって・・・

さ:そうですね、イタリアを含めヨーロッパ自体が基本的に美術史をものすごく大事にするので、その中でどういう影響を受けているのか、新しい試みをしているのか、を問われているのでその問題にどういう風に作品として返せるかということで、最初はオリエンタルと西洋を問うという、オリエンタルと西洋の間、みたいなものをどういう風に表現するかを模索して、わかりやすく表現してみたんですね。

:融合していってその後どちらかというとオリエンタルな部分が淘汰されていったんですね?

さ:20年近くイタリアで生活していても作品制作を含め多くの事が、どんなことを私がやっても日本人だからという風にとられる事が多いんですよね、であれば別にわざわざそこを無理に見せなくてもいいんじゃないか、となって、じゃぁ絵画としてワールドワイドに美術史に残る普遍的な作品が制作できればいいな、と思って変化しました。

:櫻井さんの作品は色が非常にきれいで、近年では全てが白い絵具でカバーされているものもありますが、色については、どのように選ばれているんですか?

さ:自分の中で綺麗な色だなと思う色を使っているんですが、ただ自分の中でそこまでこの色じゃないとダメだとかは、意識はしていないですが、色彩の印象が強いのは、絵の具は、イタリア製なんですが、そのままの色を使う為、基本的に混色をしないからですかね。やっぱり色彩の中の物質的に一番、綺麗と感じる色を使いたいというのがあって。

:混色をしてもいい中で混色をしないということを選んだ理由は?

さ:色の透明度が下がるのを避けたいからですかね。混色をするとどこか濁ってしまうというのが自分の感覚にあるので色彩に関してはあまり混色を使わないっていうことにしています。

:形はどこから来ているのですか?

さ:アイコンと色彩の集積というのが私の作品制作のテーマです。

初期の作品は、出身地の広島がテーマでアイコンは、愛と平和のイメージのハートを用いています。その後からは、逆に日本から見たイタリアということでカトリックの十字架をアイコンとして使用しました。イタリアに行った当時は、イタリア語は、殆ど喋れなかったので、言語を超えたアイコンというのは理解力が繋がる、今のパソコンやスマホのアイコンもそうですけれど共通認識と、あとはできれば普遍的なものを選んで2000年前にあるものが1000年後2000年後にもこの形があるんだということがすごいんじゃないかと。意味については現代でも人によってイメージが変わってきているので、未来でも結構変わるんじゃないかと思うんです。そのアイコンを見るだけで観賞者が意識を揺さぶられる作品は、とてもパワーがあるんじゃないかなと思っています。

:広島ご出身ということで小さい頃から平和については意識されていたんですか?

さ:そうですね、良くも悪くも小学校の頃の平和教育がもっと今より熱かったんじゃないかと思っています。

そうなると、若い時は、逆に距離が出てしまうんですけれど。でもそれが海外に行った時にもう一回考えさせられましたね。それで平和というテーマを強く意識しました。

:そういうところに戻っていくんですね

さ:そうですね根源的な部分に戻っていくというか、それこそ自分自身が海外に住んでいると、D N Aとかアイデンティティとか、そういうことを強く意識させられるので、大きかったかもしれませんね。日本にずっと住んでいたらおそらく現在のようなテーマで作品を制作していなかったと思うので。

:皆さんに聞いているんですが今から20秒間言った通りになるとしたら、なんと言いますか?

さ:んーー、なんだろう、世界平和ですね。

:これからの具体的なご予定でも、どういうものを作っていきたいかということでも、ありましたら教えてください。

さ:今回の作品SYMBOLシリーズはコロナウィルスによるイタリアでのロックダウンを経験して、祈りと希望、というテーマです。次は、どういうテーマになるかを今は考えています。SYMBOLシリーズから掘り下げたものになるかなと思ったりしています。作品を見た人が共感性と新しい感覚を得られるか、そういうものが作れたらいいなと思いますね。

:今回三島でしていただくということで、三島のイメージを持ってきていただけたかもしれないのですが

さ:食のイメージでDelicious Colorsシリーズと、水のイメージでSymbolシリーズの青の作品を中心に私が三島で感じるイメージの作品を選びました。

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内山翔二郎氏

・・・

:素材から⼊っていったんですね。

う:そうですね、鉄から⼊っていったんです。

:どうして鉄だったんですか?

う:迫⼒があって、鉄でありながら有機的で単純にかっこいい、っていう感じだったんです。

:かっこいいって⼤事なんですよね。受験はどんな感じだったんですか?

う:浪⼈して⾃由になったときに、美術だ、となって、予備校に通って

:⾃分で作りたいものが作れる、となってきたのはいつ頃なんですか?

う:⼤学 3 年くらいでした。

:かっこいいな、と思っていたことは覆されなかったんですね?

う:そうですね、ずっと、今もです。

:⼤学でお⽬にかかりましたね。あまりちゃんと名刺交換とかしなかったけれど。

う:修了制作の時だったと思います。

:こんなに真⾯⽬に巨⼤な⾍を作るなんていったいどういうことだろう、というのが第⼀印 象でした。

:⽇常で⽬にしているサイズでなく、⼤きなものにしようと思ったのは?

う:⾃分のキャパを超えるものを作りたくなってしまう衝動がありました。⼿に負えないく らいの、⾃分の⼒?の⼤きさを超えるものを作ると、何かどうしてもできない部分ができて しまったりするので、そういうのが逆に⾯⽩い、⼩さいものだとおさまってどんどん細かく なるというか想像ができてしまうんですけれど、それを超えたものを作ると⾃分でも予期 しない形になったりして作りたくなる衝動が。

:思い通りにならない、とか想像を超える、というものへの憧れみたいなもの、どうなるん だろうという期待があるんでしょうか。何を⼤きくしてもいい中で、⾍を⼤きくしよう、と 思ったのは?

う:ずっと⾍を作っていたので(掌で形を作って40センチほど)

:それにしても⼤きいですが、巨⼤ではなかったんですね。始まりはどのようなものを作られたのですか?

う:⼤学の実習で初めて作ったのがカエルで、薄い鉄板をチップ状にして表⾯を⽪膚のよう に貼り付けていく⽅法で作りました。⽪膚からだんだんカエルの姿に。それがとても⾃分で しっくりきて、その後に全然違う抽象形体も作った時期もあったんですけれど、それがあま りしっくり来なくて・・・。その時の鉄でカエルを作った時の感覚が、また作りたいな、楽 しかったな、ていうのがあって。よく⾍が好きなんですか?と聞かれるけれど、特別そうで はなくて、⽣き物全体が好きで、なおかつ⾍、花もそうですが、⾝近なもの、ということと、 表⾯の⽪膚みたいな感じの表現っていうんですか、昆⾍だったら外⾻格で覆われているっ ていうので作ったらしっくりくるんじゃないかなって思って、そのときに⼀番最初に作っ たものがカマドウマなんですけれど、⼩さい頃のお⾵呂が釜だったんですね、⼟間みたいな ところにお⾵呂があって、じめっとしたところで、よくいたんですよ。その時の記憶が・・・ なぜかそういえばこの頃カマドウマ⾒ないな、と気になって、カマドウマのことが。それと 今作りたいなっていうことがつながって・・・というのが最初の⾍を作った時のきっかけで。 作ったら⾯⽩くなって⾃分に合うな、と思って、それ以来ずっと⾍を・・・

:そうなのですね。そう⾔えば、⾍の作品には、ギアなどの機械的な要素が⼊っていますが これは当初からそうだったんですか?

う:そうです、初期の⽅の、例えばカマドウマなどは今より複雑に⼊っていたかもしれませ ん。

:その要素はどうして⼊っていたのでしょうか?

う:やはり素材が、鉄だったので、鉄はメカニカルなものに使われていた、ということもあ ると思いますが、同時に、当時よく作品の内部と外部、ということについて考えていて、昆 ⾍の場合は外⾻格で覆われているので特にそのことを意識していたんです。それについて ⾃問⾃答している中で、⼩学⽣くらいから⾒ていた「ターミネーター」や「ロボコップ」の ように有機的な存在に無機物が⼊れ込まれている様⼦を想起して、外と内を繋ぐというか、 関係させるもののヒントのようなものを⾒出した気がしたんです。 :それはずっと今まで続いているのですか?

う:⼀度少し消滅したのですが、この 1―2 年やはり⾃分の作品にとってアイコンのような 位置づけになっていることを感じ、しかもそれに抵抗を覚えなくなったので、また使い出す ようになりました。

た:制作はそれぞれ作るんですか?ある程度同じ⼯程を同時進⾏にして作るんですか? ―⼀つずつ作っていきます。ただ、アリンコみたいに⼀度にたくさんの数で⾒せるときは⼀ 緒に作ることがあります。作品ごとですね。

:しっくり来る、と⾔うように表現されていることから、感覚的なものを⼤切にされている ことを感じますが、それは同時に慎重な観察から⽣まれているようにも思います。

う:⼆⼈(奥様と)とも散歩が好きなので、花とか⾍とか気になって、よく⾒ています

:先ほど⼤きくなるとわからなくなるから⾯⽩い、というようにおっしゃっていましたが、 例えば観察してこうなんだとわかったときに、それはどうアプローチされるんですか?

う:結構デフォルメしていることが多くて、すごいリアルと⾔われるけれど実はそうではな くて、わからないところは⾃分のフィルターを通して、でもできたものが意外とリアルと⾔ われることがあるんです。

:デフォルメといえば、⼀部機械のようにもなっていますね。興味深いです。その点はまた じっくりお話を聞きたいところです。

:彼岸花の群⽣はそれまでとは違うアプローチで作られていますが

う:そうですね、より感情移⼊するものを作りたくなったというのがあって。

:⾒る⼈との関係は?

う:特に花とかは、⾒る⼈は彼岸花を⾒ているっていう感じじゃなくて、彼岸花とは違うも のを感じ取って欲しい、というようなことが理想としてある、杜若でなく、作品を通して別 の想いを巡らすとか。

:ご⾃⾝の作品が⾒る⼈の想像のきっかけになったらいいな、というかんじですか? う:そういうことはあると思います。

た:作品の中にはご⾃⾝はどういうふうに存在するんですか?

う:作品の中には⾃分を⼊れないようにしているんですけれどどうしても⼊ってしまう、⾍ とかも切り離そうかな、と思うけれどどうしても⼊ってしまいます。

:奥様(以下おと表記)にそばで⾒ていて、内⼭さんらしい、という瞬間など、ご⾃⾝も作 られる⽅なのでご⾃⾝との⽐較でも

お:私から⾒ると彼は、完結して⾃分の中でやっている感じがするんですが、⾃分では全然 できなくて、私だったらこう作るかな、と頭の中であれこれ考えるんですが、そうやって作 るんだ、と眺めているんですけれど、最終的は「あ、これだ!」ってしっくりくるんです。 ⾍の造形⼀つ⼀つでも、私だったらこう思いつかないというのをいつも思います。

:内⼭さんも奥様の作品を⾒て

う:真逆くらい違うんで笑

お:お花の作品も、いつも新しい作品を⾒ると、この⼈の中にこういった世界があるという のが驚きで、すごくいいなぁと思います。

:作品制作全般として、時間はかなりかかるのでしょうか?

う:じっくりですが、期間は短いです、期間は短いですけれどその間やっている時間が⻑い という感じです。

:今から 20 秒間話した事が現実になるとして、こんなことができたら夢のようだ、という ことはありますか?

う:えー〜―えっと笑

⼿が四つになったらいいなって

お:いつも⾔っています。

う:阿修羅みたいにこう・・・笑 :それで全てが想像できる感じがします。

何かアナウンスすることがありましたら

う:⼆⼈で⼯房、美術教室みたいなことをやりたいな、と思います

:それは実現しますよね!

う:⼯房の⼆階が空いているんで

:お⼆⼈でできるのがいいですね。

:今回三島ということで意識してくださったことはありますか?

う:三島といえば⽔、それで杜若、ハエは、三嶋⼤社があるので 今世界情勢が良くなくて、お祈りを捧げるようなものを、それでハエを観察すると こうやってお祈りしているんですよね、それで、三嶋⼤社という神聖な場所があるので お祈りしているものを!と思って ハエなので印象がどうかわかりませんが 僕にはお祈りしているように⾒えてしまったので笑

以上4名の⽅のインタビューでした。 インタビュー:GALLERY エクリュの森

代表

⽥村燿⼦